歓声と批判の渦中を歩む勝負師――馬主・西山茂行が2026年の日本競馬界に突きつける「剥き出しのリアル」
西山 茂行という男の言葉には、いつも計算された装飾がない。SNSを開けば、敗戦の悔しさを滲ませる騎手への苦言から、牧場で草を食む功労馬への惜しみない愛情、果てはゴルフ談議までがフィルターなしで流れてくる。巨大クラブ法人が寡占し、洗練された広報戦略が支配する現代の競馬界において、彼の存在はあまりにも異質だ。だが、その無骨で生々しい発信こそが、毎週ターフに熱狂するファンの胸を衝いて離さない。
昭和から平成、そして令和へ。幾多のサラブレッドを見送り、時代の激変を最前線で浴びてきた西山 茂行の歩みは、そのまま日本競馬における個人馬主の生き残り抗争史でもある。「セイウン」「ニシノ」の冠名に宿る情熱は、単なる道楽や投資の枠組みには収まらない。2026年を迎えた今、なぜこのベテランオーナーの一挙手一投足にこれほどまでの視線が集まるのか。
蹄音と本音――競馬界の「ご意見番」が放つ唯一無二の存在感

勝負の世界は残酷だ。1頭の馬が未勝利でターフを去る裏には、数千万円単位の維持費と関係者の血の滲むような労働がある。だからこそ、負けたときの言い訳を嫌い、勝ったときの喜びを誰よりも率直に叫ぶ姿勢が際立つ。
多くの馬主や調教師が沈黙を守るようなデリケートな事象――騎乗ミスへの見解、番組編成への疑問、JRAのルール改定に対する違和感――にも、彼は自らの実名と顔を晒して切り込む。時には炎上を招き、ファンの間で激しい議論を巻き起こすこともある。それでも「自分の言葉で語る」というスタンスを崩すことはない。建前ばかりが先行する情報空間において、この愚直なまでの透明性が、ファンとの奇妙な共犯関係を生み出している。
個人馬主としての矜持と「セイウン・ニシノ」の血脈継承
セイウンスカイの鮮烈な逃げ切り、ニシノフラワーの可憐な差し脚。かつて競馬ブームの頂点でファンを熱狂させた名馬たちの記憶は、今なお色褪せない。しかし、大牧場グループによる寡占化が進む現在の競馬界において、オーナーブリーダー(馬主兼生産者)として血統を紡ぎ続けることは、経済合理性だけを見れば無謀に近い挑戦だ。
それでも自家生産の牝系にこだわり、日高の生産者たちと膝を突き合わせながら配合を練る。億単位の高額馬をセレクトセールで競り落とす大手クラブ勢に対し、地道に紡いできた「我が家の血」で立ち向かう。そこに漂うのは、失われつつある古き良きロマンと、強者に対する痛烈なカウンター精神だ。ニシノデイジーが障害界で頂点を極めた際に見せた涙は、血の物語を信じ抜いた者だけが味わえる至福の証だった。
ネット世論と真正面から対峙する稀有な発信力
オールドスクールの経営者でありながら、SNSの使いこなしはデジタルネイティブ顔負けだ。ブログの草創期から日々の喜怒哀楽を綴り、X(旧Twitter)では一般ユーザーからのリプライに気さくに応じる。そのフットワークの軽さは、時に競馬界の既存のヒエラルキーを軽々と飛び越えていく。
ポップカルチャーとの向き合い方にもその柔軟性が表れている。競走馬を擬人化したコンテンツが社会現象となった際も、一部の頑なな関係者とは対照的に、柔軟な理解と寛容さを示して若いファン層の心を掴んだ。「馬を愛してくれるなら、入り口は何でもいい」。その懐の深さが、競馬という伝統文化の裾野を確実に押し広げた事実は見逃せない。
セカンドキャリアへの眼差し――引退馬支援を巡る現場のリアリズム
引退競走馬の余生をどう支えるかという問題は、今や世界的なアニマルウェルフェアの潮流とも相まって、競馬界最大のテーマの一つとなっている。この議論においても、彼の見解は極めて現実的だ。
耳当たりの良い理想論だけでは馬は養えない。毎日の飼料代、広大な牧草地の維持、人件費。すべてに莫大なコストがかかる現実を包み隠さず明かすことで、議論をファンタジーから実務の場へと引き戻す。同時に、自身が手がけた名馬たちの余生には責任を持ち、功労馬として手厚く見守り続ける。理想と現実の狭間で葛藤しながらも、現場の財布と命の重みを知る者としての発言には、重厚な説得力が宿っている。
2026年の競馬ビジネスと中小オーナーが直面する生存競争
賞金水準の向上や国際化が進む一方で、競走馬の価格や飼育コストは高騰の一途をたどっている。富裕層のステータスシンボルとしての競馬は維持されても、中小規模の個人馬主が息長く活動を続けるハードルは年々高くなるばかりだ。
西山興業という事業基盤を持ちながらも、馬主業にかかる採算のシビアさを赤裸々に語る姿は、業界の持続可能性に対する静かな警鐘でもある。預託料の高騰、厩舎のキャパシティ問題、地方競馬との役割分担。きらびやかなG1レースの舞台裏で進行する構造的課題を、自身の懐事情を含めて生々しく提示できる語り部は、今の競馬界において極めて貴重だ。
「勝負師」であり続ける理由――昭和の熱気と令和のファンを結ぶ架け橋
馬券が紙の時代からデジタルへと移り変わり、競馬場が清潔なアミューズメントパークへと姿を変えても、ゴール前の激闘が生み出す熱気の本質は変わらない。勝てば天国、負ければ地獄。そのシンプルで過酷な勝負の美学を、彼は誰よりも愛している。
パドックで馬の仕上がりを見極め、レース後に悔しさを噛み締め、翌朝には次のレースに向けて頭を切り替える。その繰り返しのなかにしか、本当の人生の面白さはないと言わんばかりだ。昭和の熱気を全身にまといながら、令和のデジタル空間を自在に泳ぐその姿は、近代化とともに失われかけた「泥臭い競馬の魅力」を現代に繋ぎ止める貴重なアンカーとなっている。 (出典: 西山 茂行(Yahoo!ニュース))