道後温泉の常識を覆す没入感。2026年、なぜ旅巧者は本館ではなく「飛鳥乃湯泉」をあえて選ぶのか
飛鳥 の 湯――のれんをくぐった瞬間に漂うヒノキの清冽な香りと、肌をなでる柔らかな湯煙。道後温泉本館の保存修理工事が完了し、温泉街全体が本来の熱気を取り戻した2026年の愛媛・松山。かつての喧騒が戻る一方で、目の肥えた湯治客たちが静かに足を向けている場所がある。飛鳥時代の建築様式と現代アートを大胆に融合させた、この別館だ。単に身体を洗い流すための公衆浴場ではない。空間そのものがひとつの物語として編み上げられている。
館内に足を踏み入れると、外のアーケード街のざわめきが嘘のように遮断される。夕暮れ時の淡い光が差し込む回廊を抜け、飛鳥 の 湯の大浴場へと向かうアプローチは、まるで古代の皇族が愛媛の地に築いた離宮へと迷い込んだかのような感覚をもたらす。白木を基調とした端正な柱組み、細部まで計算された間接照明。歴史の重みを誇示する本館とはまた違う、静謐で贅沢な時間がここには流れている。
聖徳太子も愛した伝説の地。1400年の時を超えて息づく「飛鳥様式」の美学

飛鳥時代の西暦596年、聖徳太子がこの地に立ち寄り、湧き出る湯の効能と椿の美しさを讃えて「湯岡の碑」を残したという伝承がある。その故事を現代の建築技術で具現化したのが、この湯屋だ。軒を支える組物や反り上がった屋根のラインには、法隆寺などを思わせる飛鳥時代の建築美が忠実に落とし込まれている。
鉄筋コンクリート造の近代建築でありながら、冷たさは微塵もない。柱や梁には厳選された国産の木材がふんだんに使われ、訪れる者の視覚と触覚を和ませる。歴史の模倣ではなく、現代の職人たちが古代の美意識に本気で対峙して作り上げた空間。その熱量が、柱の木目一つひとつからひしひしと伝わってくる。
砥部焼とプロジェクションマッピングの共演。湯船から見上げる「生きた壁画」

大浴場に入ると、まず目を奪われるのが正面の巨大な壁画だ。愛媛を代表する伝統工芸「砥部焼(とべやき)」の陶板約200枚を組み合わせて描かれた霊峰・石鎚山と瀬戸内の海。白磁の艶やかな質感に、呉須(ごす)の深い藍色が鮮やかに映える。
圧巻なのは30分ごとに訪れる演出だ。照明がふわりと落ち、壁画にプロジェクションマッピングの光が投影される。山肌を朝露が滑り落ち、鳥が飛び立ち、波が揺らめく。お湯に首まで浸かりながら、光と陶板が織りなす幻想的な風景を眺めるひととき。肌を包むアルカリ性単純泉のまろやかさと相まって、日常の輪郭がすっと溶けていく。
特別浴室「又新殿」の完全再現。皇室専用の湯殿で味わう究極のプライベート空間

静寂を極めたいなら、2階に設けられた特別浴室の予約を逃す手はない。道後温泉本館にある日本唯一の皇族専用浴室「又新殿(ゆうしんでん)」を忠実に再現した空間だ。天井の格縁(ごうぶち)から壁面の金箔加工に至るまで、当時の最高峰の格式が寸分違わず写し取られている。
ここでは、かつての貴族が湯浴みの際に身につけていた「湯帳(ゆちょう)」と呼ばれる麻の着物を着用して入浴する。肌に張り付く麻の感触越しに伝わる湯の温もり。窓の外に広がる庭園の緑を眺めながら湯をすくう瞬間、数百年前にタイムスリップしたかのような錯覚に囚われる。プライベートな時間と非日常を求める旅行者から絶大な支持を集めている理由がよくわかる。
職人技の結晶。伊予竹細工と菊間瓦が語るローカルクラフトの現在地
湯上がりに通される2階の大広間や個室休憩室も、地域の工芸品を堪能できるギャラリーのようだ。天井を見上げれば、緻密に編み込まれた伊予竹細工のシェードから柔らかな光がこぼれ、床の間にはいぶし銀の輝きを放つ菊間瓦のオブジェが鎮座する。
個室は部屋ごとにテーマが異なる。内子町の和紙職人が手掛けたギルディング(金箔装飾)和紙が壁一面を覆う部屋や、西条まつりの「だんじり」彫刻を施した部屋など、愛媛全域の手仕事が惜しみなく注ぎ込まれている。湯上がりに地元のお茶と銘菓を味わいながら、職人たちの精緻な技を指先で確かめる。旅の記憶を深める贅沢な時間がそこにある。
2026年流の歩き方:本館との「はしご湯」で解き明かす道後温泉の二つの顔
全館営業が定着した本館と、アートフルな飛鳥乃湯泉。どちらか一方だけを訪れて満足するのは、あまりにもったいない。地元の人々が勧めるのは、それぞれの魅力を対比させて味わう「はしご湯」だ。
早朝、澄み切った空気の中で本館の木造三層楼の渋い佇まいと湯の深さを堪能する。そして夕方から夜にかけては、ライトアップされた別館で光と工芸の余韻に浸る。歴史の重厚感と、現代カルチャーが融合した洗練。同じ源泉を引きながらも、演出と空間が異なるだけで体験の質がここまで変わるのかという驚きがある。
湯上がりに巡る裏道後。地元柑橘とクラフトビールが交差する路地裏カルチャー
館内を出た後も、飛鳥乃湯泉の体験は終わらない。中庭の広場を抜けて一歩路地に入れば、近年オープンした個性的なクラフトビールバーや、愛媛県産柑橘をふんだんに使ったジェラートショップが軒を連ねている。
火照った身体に、柑橘のフレッシュな酸味とホップの苦味が心地よく染み渡る。足湯に足を浸しながら地元の人々と交わす何気ない会話。観光地として成熟しながらも、常に新しい感性を受け入れ続ける道後の懐の深さ。暖簾をくぐったその先から、路地裏の片隅に至るまで、旅人を飽きさせない引力がこの街には満ちている。 (出典: 飛鳥 の 湯(Yahoo!ニュース))